夢は虹のようにー「恋は雨上がりのように」で感じる夢のハナシ
生まれ変わったら、小松菜奈ちゃんの顔になりたい、、、。
とは思うけれど、小松菜奈ちゃんの顔になったところで私は小松菜奈にはなれない。
そんなことを考えながら、映画「恋は雨上がりのように」を見た。
見る前に私が知っていたあらすじは、
ファミレスでバイトをしている女子高生が店長に恋する話、だった。
まあ、実際そういった話ではあった。
が、
この映画、ジャンルは恋愛映画ではない。と思う。
それ以上に、女子高校生の青臭い友情物語や、おじさんたちの純情な絆のようなものが描かれいる。そういう、登場人物たちの”人生”のようなものがとてもおもしろかった。
1度、夢を諦めてしまった人。
または好きなことや楽しいことを、強制的に禁止してしまった(あるいはされてしまった)人。
好きで好きで、諦めきれない何かがある人。
そういう人に、この映画をぜひ勧めたい。
(ここからネタバレ含めて感想を述べます。ご注意ください。)
まず登場人物の中で私が気になったのは、ファミレスのキッチン担当、加瀬亮介だ。
彼は橘あきらの店長への好意を1番最初に見抜いた。そして若干の脅迫も、した。
しかし物語の終盤。橘あきらと2人きりの休憩室で、彼は言った。
「運動部やってる人の気が知れないけど、それでも橘ちゃんは突っ走るんでしょ?」と。
映画内では、彼の過去や細かい人生像については触れられていない。
だが、この一言でなんとな〜く、感じてしまう。
彼にも、突っ走りたくなるような何かがあったのではないか。
というか、今も、店長と同じように、別の夢を追いかけながらファミレスのキッチンに立っているのではないか?
目立つキャラクターでもなければ、特別良いポジションなわけでもない。
むしろやな感じ〜!枠の男性だった加瀬。
終盤に来て、この一言で、私は持っていかれましたね。
何をとは言いませんが。
そしてそして、次に注目したいのはおじさんたちのピュアな友情。
同じ夢を追いかけている人間は、時に強い味方であり、時に恐ろしいライバルでもある。
店長(近藤正己)は、先に小説家としてデビューした学生時代からの友人九条ちひろに劣等感を抱いていた。
「正直お前が羨ましくて、今まで連絡できなかったよ」
久しぶりに再会した友人にしっかり言えてしまう男。うう。眩しい…。
羨ましくて、連絡なんかしたくなくて、だけどやっぱり会いたくなってしまう。
ああ、友よ…。
そして店長が九条ちひろの小説を読めたのも、きっと橘あきらに出会ったから、だと思う。
本屋さんに行ったのがもし一人だったならば、九条ちひろの本を手に取ることもなかったのだろうと思う。というかそうであって欲しいのだ、私は。だってその方が都合が良いから。
もう走れない、走らないと決めてバイトの道を選んだ橘あきら。その彼女が、本屋で手に取った本のタイトルは”RUN”。
ああ、この子は走ることが大好きで大好きで、諦めきれないんだろうなあ。
店長は、本を手に取る彼女を見てこう思ったのではないか。その上で、かつての仲間(ライバル)であった九条ちひろに再会しようと思えたのではないか。店長がもう一度、友達と夢と真正面から向き合おうと思えたきっかけになったのが、橘あきらであればいいなと思う。これは私の解釈というよりも願望に近いのだけど。
加えて、店長は自らが言った
「どこかに橘さんを呼んでいる本があるはずなんだ。それはきっと今の橘さんに必要な本なんだよ」
というセリフも、自分の背中を押したのだろうなと、私は思う。
今この瞬間に九条ちひろの本を見つけたこと。きっと、これを読むことが、今の自分に必要なんだと。心の奥底で、そう思ったんだろうなと。これも、私の願望である。
そして特にこの2人の会話で印象的だったのが、
「無理とわかっていても、まだ夢を諦めきれないんだ」と言った店長に対しての
「この原稿用紙は、未練じゃねえ。執着だ」という九条ちひろのセリフ。
いい歳した大人が、(家族を切ってまで)まだ夢を追いかけてるなんて、未練がましいよな。
そういう店長の自虐に対して、これは執着だと。
「俺も未来が怖いよ。けど、コイツ(小説)が好きで好きでしょうがねえんだ。執着するしかないだろ」と。
未練、というと、終わったことをいつまでも引きずるという印象があるが、執着、というとなんとなく、これから手に入れるぞ!という気合いを感じる。
九条ちひろは、”お前はまだまだこれからだろ”という意味を込めて、執着という言葉を使ったのではないか。
それにしても、励まし方がうますぎる…。
そうやって映画にのめり込むうちに、生まれ変わったら小松菜奈ちゃんの顔になりたいという願望は、どこかに行ってしまったのだった。